文豪の〝人柄伝わる〟ユーモアエッセイ:吉村昭「わたしの流儀」
2014年5月1日
1998年発行。新潮文庫版は2001年。
吉村昭氏の短編・エッセイ集は以前に「史実を歩く」と「天に遊ぶ」を紹介した。小説を書く前の取材旅行における出来事などを素材とした掌編集だった。この本もそんな吉村氏の身の回りのことや仕事でのあれこれを題材にした掌編集だ。
なんといっても一編が原稿用紙数枚という短い作品ばかり。数えてみたら117編ある。短いこともあり、どれも肩肘張らずに読めるだけでなく、著者の人柄が伝わってくる内容ばかりだ。
「史実を歩く」では、実際の出来事を題材にした小説執筆のため、綿密な取材に臨む様子をたどるエッセイだった。「天に遊ぶ」はそんな小説の名手である著者が、実体験などを基にして人間模様を描いた短編小説集だった。
しかし、この本は言わば純然たる「エッセイ集」だろう。あるいは著者がもしブログなんて書いたら、きっとこんな記事になるのかなと思うような、ユーモアのあるエッセイばかりだ。
もちろん、「史実を歩く」のような取材旅行がテーマの作品もある。しかし、その取材先で出会った人たちとの思い出だったり、照れ隠しで書いたかのような失敗談だったりと人間味ある内容が前面に出ている。
さらには、近所での出来事や、出版社や家族との関係を、ちょっとばかり愚痴っぽく書いているなど、本人もきっと楽しく書いているのではと思える作品も多い。
取材での出会いや近所づきあいなど、交流の姿を描いたそんなエッセイ群からは、小説作品や取材記録で感じさせる鋭さとはまた違った、一人のおじさん「吉村昭」という人物が見えてくる。吉村氏といえば芸術院の会員にもなったような偉大な作家。しかし、実は近所にいそうなお酒が好きで美味しいものが好きで、奥さんにはあまり頭が上がらないというような親しみある人だということが伝わってくる。
ぼくはもちろん吉村氏とは会ったことなんてないわけだけれど、このエッセイ集を読むと恐らく好々爺(って言うと失礼かもしれないが…)だったのかなと感じる。しかし、だからこそ取材先でたくさんの人と心の通った交流ができ、これまでにない史実を見つけ出して名作の数々を創り出すことができたのではとも感じる。
また、小説家が日々の生活を切り取って掌編エッセイを書くとどうなるかという、テクニカルな面でも非常に勉強になる。何でもないような出来事、出会いや別れなど、それらを切り出して数枚の原稿に仕立てる。そしてそれらはいずれも、小説かと思えるような読みものになっている。もちろん、中には愚痴だけで終わっているような作品もあるが、それはそれで面白い。
こんな面白いエッセイを書く人が、あの数々の名作小説を書いていると知った上で、著者の作品群に臨むとまた違った面白さを感じるのかもしれない。