文豪の筆、掌編の空に舞い踊る:吉村昭「天に遊ぶ」(新潮文庫)
2014年3月31日
1999年発行。文庫版は2003年。
一部、「ネタバレ」あり。
吉村昭氏にしては珍しいと思われる掌編小説集だ。吉村氏といえば綿密な取材によるリアリティある表現と、心の機微を描き出す筆力。太平洋戦争や江戸~幕末期を舞台とした歴史小説で多くの長編を残しているのはご存じの通りだ。
そんな長編小説の大家が「天空を自在に遊泳するような思い(p.226「あとがき」)」で書きつづった掌編の数々。読後に感じるのは、原稿用紙10枚ほどの短編でも、長編小説にあるような機微をぎゅっと凝縮しているかのような感じだ。
舞台は現代。男と女、特に夫婦間のすれ違いや思惑の不一致をテーマに取り上げ、両者の微妙な心の動きを表現している。
また、獣医を主人公にした掌編では、不治の病を自覚したかのように「自殺」と思わせる死に方をした犬や、飼い主の心中に巻き込まれた犬の姿を描く。不思議な出来事に直面した人間を通してさまざまなことを考えさせる。おそらくどれも実話に着想を得ていると思われるが、それを短い掌編にまとめているのはさすが。
著者自身の体験を書いた作品もある。こちらは小説というよりエッセイだろうか。どれも取材先など仕事で出会った人たちとの交流が中心テーマだ。印象的なのは、小説を作り上げる作業に悩む姿を赤裸々に書いているところ。苦労話よりも一歩踏み込んだ、作家特有の深い悩みだと思う。
掌編「梅毒」は、桜田門外の変で現場責任者だった水戸脱藩士・関鉄之介について調べた時の取材エピソードだ。
研究をたどると「関は梅毒だった」ということが定説という。さまざまな資料にあたっても同じ。しかし、著者は悩む。関の孫にあたる女性を取材で訪れたが、その女性がその定説を非常に気にしていることを明らかに感じ取ったのだ。「祖父は梅毒だった」という学説は、事実だとしても子孫としては複雑な心境だろう。
小説とはいえ史実を忠実にたどるのが吉村昭という小説家。やはり「関は梅毒だった」と書かなければいけない。では、その通りに書いたらあの女性はどう思うか。その心中を想像して著者は懊悩する。
しかし、事態は意外な方向に転がる。悩みながらも取材を続ける著者が、当時の療養記録を専門家に見てもらったところ、関は梅毒ではなく糖尿病だったことが判明したのだ。
著者は資料を手にその新たな事実を、孫の女性に報告する。その知らせを聞いて、長年の悩みが晴れ、喜ぶ表情を見せた女性の表情に、思わず著者も感極まってこみ上げるものを覚えてしまう。
何とも心温まる話でありながら、真実を発見した著者の執念と、作家としてのプライドを感じるエピソードだ。女性の表情に、作家として無上の喜びを感じたのだということがわかる。取材記をつづった「史実を歩く」でも分かる、事実を追い求める執念を裏付ける話だ。
そのほか、取材の旅先で警察官に尋問されたり飲み屋で刑事に間違えられたりと、さまざまなエピソードを面白くまとめている。
創作も取材エピソードも、伝わってくるのは著者の実直さと優しい人柄だ。どの掌編からも、著者の温かみが分かるのが面白い。そして何より、取材にかける執念。その両輪があってこそ、数々の名作が生み出されたのだろう。