太平洋戦争を〝反面教師〟に現代日本の姿を考える:保阪正康「あの戦争は何だったのか」(新潮新書)

2014年3月28日

 2005年発行。

 1936年の二・二六事件前夜から45年の降伏文書調印まで、太平洋戦争をたどりながら、同戦争の総括を試みる。そして、題名にもなっている問いに対して結論を出そうとする内容だ。

 一貫して問いかけているのは、日本人は何を目的に戦争に踏み切り、なぜ誰も止められず、なぜ負けたのかという点だ。その視点でターニングポイントにおける日本の指導層や国民の動きを、史実を通して探る。

 そして、それらの事実を通して日本人固有の精神性が持つ問題点を浮かび上がらせ、あの戦争から学ぶべき教訓とは何かを考えさせる。読み進めるうち、この教訓は何かと読者に自然と熟考させる、巧みな構成になっていると思う。

 入り口の旧日本軍の解説で、ほかの統治権から干渉を受けない「統帥権」が絶対であり、文民統制が崩れた要因と確認する。その上で二・二六事件や軍部大臣現役武官制をもって、軍が武力と政治的圧力を行使して意志を押し通す空気と仕組みができあがってしまった。

 特に著者は二・二六事件を「ターニングポイント」としている。

「二・二六事件」というテロが、明らかに時代の空気を歪ませてしまったと思うからだ。テロという暴力が、軍人、政治家はもちろんのこと、マスコミ、言論人たちも、そして日本国民全体の神経を決定的に麻痺させていった。
 私には、この〝暴力に対する恐怖心〟が、日本を開戦への道へと一気に突き進ませていったように思えてならないのである。(p.56)

 そして、日中全面戦争や仏印侵攻、関東軍特殊演習などが始まり、真珠湾攻撃へと突入する。二・二六事件による暗澹たる恐怖感が、軍部の暴走を止める歯止めを全部吹き飛ばしてしまっていた。やがてミッドウェー海戦とガダルカナル攻防戦を境に戦況は泥沼化。戦況は悪化し45年の広島・長崎への原爆投下へと続く。

 これらを概観する中で分かるのは、当時の日本の指導層がまったく大局を見ずに対症療法しか取らず、現実を直視した判断が全然できていなかったことだ。著者はそこを鋭く批判する。

 彼らが専ら会議で論じているのは、「アメリカがA地点を攻めてきたから、今度は日本の師団をこちらのB地点に動かし戦わせよう」といった、まるで将棋の駒を動かすようなことばかりであった。それで二言目には、「日本人は皇国の精神に則り……」と精神論に逃げ込んでいってしまう。物量の圧倒的な差が歴然としてくるにつれ、彼らは現実逃避の世界に陥っていくしかなかった。(p.121)

 テロに裏打ちされた恐怖で軍部を止められなかった政治家と国民。そして、大局を見ずに戦争を進める軍部。すべての歯車が負の方向に組み合って回ってしまったのだ。

 著者は戦況に喜ぶ国民の姿にも言及する。著者は二・二六事件以降、沈んでいた精神が発露したシーンとして、真珠湾攻撃の戦果と開戦の知らせに喜ぶ文化人や国民の姿を紹介する。そして、その姿に「解放感」があったとする。

 この時の空気は「二・二六事件」に端を発した〝暴力の肯定〟で神経が麻痺していく感覚と似ているようにも感じられる。鬱屈した空気の中でカタルシスを求める。表現は悪いかもしれないが、〝麻薬〟のような陶酔感がある。(p.99)

 国民の側も、ウソの情報に振り回されていた。国民自身が、客観的に物を見る習慣などなかったから、上からもたらされる〝主観的な言葉〟にカタルシスを覚えてしまっていた。「今は苦労するけれど、いずれは勝つんだ……」そういう考えに耽っていってしまったのである。
 恐るべきドグマが社会の中に全体化していた。(p.150)

 〝暴力に対する恐怖〟の発散が戦争というカタルシスだった点は実に皮肉であり悲劇であり、ある意味人間の本性を感じさせる。

 また、この戦争の「大義」や「目的」についても著者は批判する。要するに「目的なんてなかった」と。真珠湾攻撃以降、南洋へと進軍する過程の中で、軍部が戦争目的を無理矢理にでも作ろうとしている様子を紹介する。アメリカの対日石油輸出禁止など、要因はいくつもあったが、実は誰も戦争の終着点を考えていなかったのだ。

 私は、この戦争が決定的に愚かだったと思う、大きな一つの理由がある。それは、「この戦争はいつ終わりにするのか」をまるで考えていなかったことだ。
 当たり前のことであるが、戦争を始めるからには「勝利」という目標を前提にしなければならない。その「勝利」が何なのか想定していないのだ。(p.105)

 そして、先ほど紹介した通り、軍部は大局を見ることなくその場の判断だけで戦争を進めようとする。その先に見える結果は火を見るより明らかだ。

「戦術」はあっても「戦略」はない。これこそ太平洋戦争での日本の致命的な欠陥であった。
 しかし、思うに「日露戦争」までの日本には、「戦略」がきちんとあった。引き際を知り、軍部だけ暴走するようなこともなく、政治も一体となって機能していた。国民から石を投げられてでも、講話を結びにいくような大局に立てる目を持つ指導者がいた。
 しかし、「日露戦争」に勝利したことを過信した軍部には、夜郎自大な精神がカビのようにはびこっていたのである。先達たちのまっとうな判断を少しも参考にしていなかった。(p.166)

 先達の知恵を忘れ、国際情勢という大局を見ることなく戦争に邁進した軍部。第二次世界大戦という情勢下において、戦争に突き進まざるを得なかった日本。その歩みを止められなかった政治家や国民。当時の人々に欠けていたものとはなんだったのか。

 果たしてあの戦争は何だったのか。著者は最後にこの問いかけをする意義について書いている。

あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。そのことを見つめてみたいと私は思っているのだ。その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのではないか。
 戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対症療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入りこんでいく。現実を冷静にみないで、願望や期待をすぐに事実に置きかえてしまう。太平洋戦争は今なお私たちにとって〝良き反面教師〟なのである。(pp.240-241)

 戦略を考えずに戦争を押し通そうとした軍部がベースとしたのは精神論だった。精神論さえあれば、戦術のみで乗り越えることができる。そんな対症療法を取る裏にはやはり、現実を冷静に判断するという基本姿勢と能力の欠落があったのではないだろうか。

 そして、著者が指摘するようにそんな姿は今の日本人にも当てはまる。いい悪いではなく、そんな日本人の精神性をきちんと受け止めなければならない。その反面教師が太平洋戦争であって、そのためには「あの戦争は何だったのか」という問いを続けなければいけないのだ。

 東日本大震災や政権交代などを経て、日本はそれまでとまた違った局面に入っている。戦争に突き進むということはないだろうが、政治経済など各分野で曲がり角にいるのは確かだろう。

 そんな中、あの戦争のように現実を直視せず戦術のみに頼るような国の姿を繰り返していいのか。あの戦争を考えることは、今の日本を考えることと重なる。それは〝日本人〟という民族の精神性を探る問いであり、曲がり角の局面の今こそ国民みんなが考えていかないといけないのだろう。この〝反面教師〟としてのかつての日本の構造をモデルとして抽出することで、現代日本の問題点を浮かび上がらせることもできるのではないかと思う。

 これまでこのブログでは、同テーマの本として半藤一利著「昭和史1926-1945」遠山、今井、藤原共著「昭和史〔新版〕」について書いている。いずれもこの本と同じ問題点を挙げている。

 これからは歴史的史実だけでなく、それらから見る日本人の精神構造やその成り立ちを探っていくことが自分の課題だと思っている。

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