このブログを書き始めた理由 ― 初心や基本姿勢の確認

2014年3月29日

 このブログを作り始めて9カ月。特に節目というわけではないが、思うところがあって、ブログを始めた理由などを書き残しておきたい。

勉強せずに過ごしてきた反省

 三十路を過ぎて痛感しているのは、自分に何も学が無いということだ。

 もともと勉強ができるわけでなく、高校は不良生徒がいきがるやる気すらない底辺校だったし、大学だって入学早々英語の授業が5文型の学習から始まるというどうしようもないFランク大だった。そして、就職したのは体力勝負で頭を使わないタイプの会社。ずっとこんな感じで過ごしてきてしまった。

 一方、ぼくと同世代の人たちが各方面で大活躍しており、そんな姿に羨望する。うらやましいなあ、ぼくもああなりたいなあと心でつぶやくも、別に注目を浴びたいわけでもない。むしろそっとしておいてくれという方だ。彼ら彼女らをひまわりや桜とするならば、ぼくは日陰にむすコケといったところ。

 では、なぜ羨望の目で見てしまうのか。それは、社会や目の前にある諸問題に対して、何かしら解決への糸口や分析をできるような頭脳がほしいという欲求があるからだと思っている。

 思わず羨望してしまう人たちは、いわゆる〝地頭〟がいい。その上に蓄積された知識や教養がある。ぼくには地頭が無い。自覚している。となれば、少しでも彼ら彼女らに近付くため知識や教養を養うしかできることはない。

 ぼくは学ぶことをさぼってきた。仕事の忙しさにかまけて、自分の頭を養う作業を怠り、何かあってもその場しのぎで無理やり乗り越えてきた。学ばなくても何とかなるという、根拠のない安心感とうぬぼれがあったのだろう。そして、絶えず努力をしてきた人との差だけがはっきりと開いてきて、その後ろ姿を見て呆然とするだけ。

 そんなぼくのように無知・無教養のまま、乗り切っていけるような時代ではなくなっていると思うようになった。

震災の悲劇を受け止められなかった〝教養〟

 それを痛感したのは、2011年3月11日の東日本大震災だった。

 発生直後から絶えず伝えられる被災地の惨状について、自分はどう理解すればいいのかまったく分からなかった。理解というか、自分なりにどう受け止めればいいのかが分からなかった。

 これは、自分の中に事実を受け止めて理解するための回路が無かった。すなわち、知識や教養が圧倒的に足りなかったのだと思う。そして、次々と伝えられる惨状を受けきれず、軽いうつ状態になってしまった。心が完全にオーバーヒートしていたのだ。

「教養に出動要請が下るとき」

 ところで、浅羽通明著「大学で何を学ぶか (幻冬舎文庫)」という本がある。日本の大学は学問を学ぶ場ではなく、社会との接点でしかない。そんな「世間」とのつながりを得る場でしかないのだという内容だ。1996年発行でありながら、その主張は今も色あせず説得力を持ち続けている。

 著者は、知の集まる場所としての大学を「見捨てるべし」とするが、最後に教養の必要性を強調して学生たちに望みを託している。

 それまで、きみにとって哲学も思想も宗教も社会モデルも必要なかったのは、単に、世の中の平均値に合わせて生きてこれたからにすぎない。(p.217)

 こう述べた上で、「教養に出動要請が下るとき」があるとしている。

 ただいまをみんなと一緒に好きな断片に囲まれて生きる現在の多数者が、こうした意味づけ(引用者注・実務的でないとされる社会科学系の学問が与える意味合い)を必要とするにいたるのは、常識を当然の前提として過ごせる日々が、突然、崩壊したときだろう。(p.219)

 それはどんな時か。

 本書では例として、撃沈されるのが確実で出撃の意味などないと主張する戦艦「大和」の乗組員を、つちかった教養をベースに未来を見据えた視野から説得・慰撫した大尉のエピソードをあげる。また、アウシュビッツ収容所から生還したフランクル著「夜と霧」の一節を引いて、極限状態の人間が絶望や死の影と向き合う時、いかに内に秘めたる教養が強い後ろ盾になるかを示す。

 著者は、大学で教養は身につかないし、今の日本では必要がない。しかし、いつかは求められる時がくるかもしれないとそっと教えているのだ。

 本来の「教養」から派生して、われわれの日常へ感情表現や生き方のモデルを供給してきた常識――今日ならばテレビほかマスメディアから流れる情報――が崩壊し、あらためて本来の「教養」によるその立て直しが需要される危機が、戦艦大和の出撃やアウシュビッツ収容所のごとき究極のかたちで訪れる局面はまず滅多になかろう。
 また、あるべきでもない。(pp.223-224)

 しかし、その局面は来た。あの東日本大震災だ。

 ぼくは震災の被害を受けなかったが、あれ以降、日本を覆う諸問題や今なお続く悲劇に直面するにはまだまだ「教養の出動」が必要とされていると痛感する。しかし、残念ながらぼくには出動させる教養が足りない。

本当に「本を読んだ」と言えるのは文章にしてから

 といっても、一体何をすれば教養を高めることができるのか見当がつかない。思案の結果、取りあえずは断続的にやっていた読書を重点的に取り組むべきとした。そして、読書の結果をこのブログに書いていく。

 では読むだけでなく、わざわざ文章に起こすのはなぜか。清水幾太郎著「論文の書き方 (岩波新書)」にこうある。著者が文献紹介を書くことになったエピソードでのくだりだ。

(前略)読み終わった瞬間、一瞬の空気が心の中に残りはするけれども、肝腎の書物の内容は、輪郭の曖昧なもの、捕らえどころのないものになってしまう。日が経つにつれて、それさえ何処かへ蒸発してしまう。(中略)内容を自分の精神に刻みつけておく一つの方法は、読んで理解した内容を自分の手で表現するということである。読んだことを書くということである。(pp.6-7)

 本を読んでも自分で文章にしないと、その本は読んだことにならないということだ。これはやってみると実感できる。読了した上で内容を自分で再構成し、文章の形にすると、そこで初めて頭に焼き付くような感覚に満たされる。文章化することで読後の頭のモヤモヤが秩序立って整理され、知識の棚に収納されるような感じだ。

 書き上げる文章はまだまだ稚拙だが、書かないのに比べれば、本の内容が自分の血肉になったような気がする。その積み重ねが、教養や知識を高めるという目的達成につながると考えている。

ブログで「見てもらう」緊張感

 では、チラシの裏にでも書けばいいことをなぜブログで公開するのか。これはあえて見てもらうことを前提にしなければと考えているからだ。

 文章を書くのはいいけれど、チラシの裏で終わると「自分だけが分かればいい」という甘えが生まれる。ぼくはずぼらなので特に危ない。他人様に読んでもらう前提でないと、どこかで手を抜いてごまかしてしまうのではないか。それを少しでも防ぐため、あえてブログでの公開を選んだ。

 しかしながら、読んでいる本のジャンルはいろいろ。すでに公開している記事もまだまだ未熟すぎる。しかもおしなべて長い。まったくもって読者思いでない。しかも、読書記録だけでなく日々の雑記も多い。まあそれはいいとしよう。ちゃっかりアフィリエイトのリンクを張ったり、グーグルアドセンスなぞ偉そうに使ってみたりと下心が見え見えだ。お察しください。

 いずれにせよ、自分自身の積み重ねの記録としてこのブログを生かしていこうという狙いは変わらない。それを公開するとはいささか自虐的でマゾヒスティックではあるが…。

 ちなみにブログ名もいろいろ思案した。二転三転した結果、自分の知的基盤をもう一度つくり直していこうという思いから「再構築メモ」に落ち着いた。しかし、気まぐれで変わる可能性も否定できない。

 さて、ここまで長く書いてしまったが、初心や今の気持ちを整理することはできたはず。この思いを忘れず、しかし肩ひじを張らず、謙虚さと真摯さをないがしろにすることなく、こつこつと知識や教養を育てていければと思っている。教養の出動が要請される「極限」がもう二度と来ないことを祈りつつ―。

 というわけで、どうぞよろしく。

論文の書き方

清水幾太郎

岩波書店

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