正しい「政治」とは何か 政治学の骨格に触れる:矢部貞治「政治学入門」(講談社学術文庫)
2013年7月20日
1977年発行。
自分は政治学をきちんと体系的に学んだことがない。それだけにきちんと学びたいと思っているのだが、なかなか難しいところがある。
というのも、身近な問題でありながら学問としては少し距離感がある。そして、学ぼうと思っても現実にある政治の姿やイデオロギーが前面に出てきてしまう。それだけに、純粋なフレームとしての政治論を学ぶのは少し骨が折れるし、気をつけないと知らないうちに特定のイデオロギーに偏った考え方になってしまう可能性もある。
この本については、そのような懸念がほとんどなく読める。ノイズといってはいけないのかもしれないけど、特定のイデオロギーであったり、いま現実にある政治の姿だったり、そういった不要不急な要素をほとんど避けた形で、本来の政治学について教えてくれる。そもそも「政治とは何か」というテーマについて基本の骨格だけを取り上げて分かりやすく説明してくれる。
さて、このように「基本の骨格」と言うのには理由がある。というのも、著者自身が政治学そのものについて、自然科学との違いを強調した上でこう書いている。
文化科学の一つとしての政治学には、既にそのような困難が伴っているが、とりわけ政治上の理論には、各人の思想の差や、階級的、党派的、宗教的その他の先入的な偏見が伴い易いので、一層困難を加える。(p.12)
政治上の議論には、右に述べるような困難な事情があることを忘れてはならぬが、ただそれにもかかわらず、あくまで普遍的な真理はあるのであって、いかに困難でも、できる限り偏見や好悪の感情を捨て、美しい言葉やイデオロギーの陰にある実体を把握し、客観的な真実の認識に努力するのが学問である。(p.14)
つまり、政治学は自然科学と違い、人間の人格が作り上げた体系の世界であり、感情が入り込む余地が大きく、それを取り除いた上で客観的に考える必要があるということだろう。それだけに、本書の中で著者は「理解には年齢の成長や人生経験、修養が必要である」と数カ所で何度も強調しているのが印象的だ。自然科学のように実験などでは分からない世界なだけに、研究対象をみる眼が要求されるということだ。
さて、政治というとぼんやりと国会とか都道府県政のニュースが浮かぶくらいだった。本書では「政治」について、
国家の意思を決定し実現することに直接に関係ある行動のことである。(p.15)
と定義している。また、
政治とは国家内の対立と分化を公権力を背景に統合し、法的に組織かされた統一的な国家の意思と秩序を創造し、それによって国家の目的を実現することだといわねばならぬ。(p.16)
としている。
言われてみれば「当然」と思ってしまうかもしれないが、実はこういう基本を理解せずに政治(特に国政)へのアプローチをしている人は多いと思う。ともすれば、自分の主張を通すためだけの装置のようなイメージで捉えているのではないだろうか。
これについてもよく考えれば納得できる話だが、あくまで政治は国家が持つ目的のために、全体をまとめて一つの方向へ動かすのが役目。このような定義に基づく共通認識がないがために、考えが異なる人たちがお互い議論をしようとしてもすれ違いが生じ、感情的な対立関係に陥ってしまうという事態になっている場面が多いのではないか。
政策についてもそうだ。この定義によれば、政策は政治の手段であって目的ではない。しかし、政策論議だけが独り歩きしているような状況はないだろうか。この点、著者は政治は政策の実現することであり、「政策は、主体的な意思または目的を、現実の諸条件の中で実現しようとするところに成り立つ(p.22)」としている。
実際に世の中に目を向けてみると、耳に聞こえがいい理想論や、道徳的視点から強調される政策が多い。しかし、あくまで現実からみた政策立案こそが本来の姿であり、その点は政治家だけでなく有権者・市民こそがしっかり心得ておかないといけない。
政治は空想ではなくあくまで現実の上に立たねばならぬ。人間社会の醜さも、賤しさも、人間の弱さも、悪さも、不完全さも、野心も、感情も、本能も、世界の現実情勢も、国民生活の実情も計算に入れてかからねばならぬ。ただそのような現実を認識するというだけでは政治ではないので、あくまでその現実を理想へ向かって引き上げるところに政治の本質がある。人間の現実と客観的な諸条件の上に立って、目的と理想を実現することが政治なのである。(p.23)
残念ながら政治は理想だけではできない。しかし、ここからは個人的な考えだが、日本人はこの理想だけで前に突っ走りがちな向きがあるのではないだろうか。「思えば叶う」というような精神論が政治の世界にも入り込んでいないだろうか。これまでの国政や、真っ最中の参議院選挙をよく見つめて考えたい。国民はもっと現実を勘案した上で、冷静な判断が求められているのではないだろうか。
政治家をつくり上げるのはあくまで国民だ。理想と現実のかいりは認識できても最適解を見つけだすのはなかなか難しい。それだけに、国民が理想主義に走りすぎて、肝心となる現実の分析と最適な政策への考え方を見落とすと、それがそのまま政治にも反映されてしまう。その結果、現実に向かい合えない政治となり、迷走する国政になってしまわないだろうか。というか、今までがそうだったのではないだろうか。引用にあるように、現状認識だけでも政治であることはできない。しかし、理想に走るだけでももちろん政治たりえない。両方をよく検討した上で、現実を理想へと近づける冷静な判断と行動こそが要諦であり、強く求められることなのだろう。
と、いろいろ書いてみたが、まだまだこの本については読みが浅いなあと思っている。読み通してみたものの、まだ熟考しなければいけない部分が多い。文庫で116ページという「お手頃サイズ」だが、内容は簡潔でありながらとても濃い。折を見て再びじっくり向き合いたい本だ。