人間の持つ不変の残酷さを世界史から考える:ゴンブリッチ「若い読者のための世界史」
2018年9月3日
E.H.ゴンブリッチ著、中山典夫訳。中公文庫で初版は2010年。上下巻の2冊。
先史時代から第一次世界大戦が終結したころまでの歴史を振り返る内容で、題名からも分かるとおり、子どもに向かって語りかけるやさしい口調と文体で書かれているのが特長的だ。
それぞれの時代の雰囲気、人々の生き様と考え方を読者とたどるのだが、この語りかけるというスタンスがこの本の読みやすさを高めているのは間違いない。事実、たどっていく各時代の歴史がそれぞれ断片的にならず、つながりがとぎれることなく読める。人間の作り出した文化の発展という、一つの大きなストーリーを支柱にしており、筆者だけの興味に読者が振り回されるというありがちなこともなく、さらさらと読み進めることができる。
もちろん、平易に書いていることもあって、カバーできていない歴史的出来事も多い。とはいえ、若い世代にとって、教科書のように歴史的事実の羅列になっているような本を読むに比べ、何より退屈することがない。個々の歴史的事実の詳細ではなく、大きな歴史の流れをつかむ、その「地ならし」には最適な本だと感じる。
印象的なのは、連綿と続く歴史の流れを語る中で、人間の残酷な側面が何度も紹介している点だ。そして、それを教訓として読者に対して何度も語りかけているところだ。
それぞれの時代の人間が持ち、繰り広げられてきた人間の残酷さの発現。著者の心底には、問題意識、あるいは漠然とした危機感や不安があり、それがこういう書き方をさせているのだろうかと感じる。原著が書かれたのが第二次世界大戦の前夜であり、ウイーンで書かれたという事実は興味深い。じわじわと広がりつつあるナチズムの波を感じていたのかもしれない。社会を覆う空気の変化に、長い歴史を俯瞰する視野を持つ美術史家として何かを感じていたのだろう。
そのような背景もあり、ややメタ的になってしまうが、この本と著者のたどる道をも、一つの歴史という大河に翻弄されているのではないかと思うのだ。
本書は第二次世界大戦が始まる前に書かれている。そして、著者はウイーンを離れて英国へ渡る。そのためユダヤ人の大量虐殺などナチスによる蛮行を知ることはなかった。この本で何度も著者が語っていた「人間はかくも残酷になれる」という一つのテーマは、この本が書かれた後も現実に繰り返されていた。大きな歴史の流れ、そして人間の営みは不変であるということを、はからずも浮かび上がらせる。結局人間の残酷な本性は、いつの時代も一緒だということだ。皮肉というと少し違うかもしれないが、本書と著者が歴史に翻弄されているという姿そのものが、歴史の本質的な姿や人間の本性を浮かび上がらせている。
後年書かれたあとがきや、訳者のあとがきが、最初に本書が出版されたときとは違う形でこの本が別の色彩を放っていることを示しているのが興味深い。人の世は変わっているようで、本質的には変わっていない。それを感じさせる読後感だ。
また、著者は人間の残酷さを強調する一方で、人間は助け合える存在だということも訴えている。絶望すべきではない、と。この点は訳者もあとがきで述べている。訳者あとがきの日付は東日本大震災のすぐあと。日本人はこのメッセージを実感できるのではないだろうか。