西村賢太作品に自分の不甲斐なさを問う
2014年3月13日
西村賢太著「苦役列車」を読んでからというもの、すっかりこの西村賢太という作家にはまってしまったようだ。はやくも「暗渠の宿」(新潮文庫)を買って読み始めている。
これまで私小説というと、読んだ作品はどうしても何か女々しい雰囲気を感じてしまう内容で、何となく苦手な分野に思っていた。それは作家自身の体験を通して内面を見つめ直したり自問自答したりという、私小説特有の形式がどうにもなじめなかったのかもしれない。
しかし、西村賢太氏の作品はどうやらそうではない。何と形容していいのか適切な表現が見つからないが、とにかく豪快でありながら繊細な内面もきちんと描いている。硬派な文体で、主人公である北町貫多の破天荒で破滅的な日々を描きつつ、きちんと彼のナイーブな心象の移り変わりを対比させるように表現している。自身と格闘し、あえぐ姿が鮮明に描かれているのだ。
そのような対比が実に面白い。双方が片方を支え、際立たせている。そして、そこには自身の境遇を背景に他人に嫉妬しながらも、あこがれを心中に強く押し込めながら破滅的に生きる、実にかっこいい男の姿が浮かび上がる。
果たして自分はこんな生き方はできるだろうか。あこがれる姿ではあるが、どうにもそこまで走り抜けるような勇気がない。はっきり言って、ダメな生活をしている。だらだらとろくに働きもせず、お金も無駄に垂れ流すように使っていて貯蓄もほとんどないような状態だ。しかしながら、突破点は見あたらない。一方で自分と同世代の人たちは、立派な社会人として活躍している。そんな姿を見ていると思わず泣けてくるというものだ。思わず北町貫多に強烈に感情移入する。西村賢太氏の作品を通して、そんな煮え切らない生き方をしている自分に対して問わざるを得なくなる。これこそが私小説の面白さなのだろうか。
しばらくはこの西村作品にどっぷりはまることになるだろう。でも、本当に面白い。