「変わらぬ現実」へのいらだちに立ち向かうヒント:デカルト「方法序説」(岩波文庫)

2014年3月17日

 岩波文庫で1997年発行。谷川多佳子訳。

 何度も読み返す本が何冊かある。デカルトの「方法序説」もそんな本の一つで、読み直すたびに新しい発見がある。

 その発見の理由は、読み返すその時々によって自分の心象状態が違うことに原因があると思う。抱えている悩みや問題意識は日々変わる。そんないつも違う心の状態が、読み終えたはずの本の中に新しいメッセージを見出すのだろう。発見した内容に、自分でも気がつかない深層心理に出会うことがあるから面白い。これぞ読書の醍醐味だ。

 さて「方法序説」だか、今回もやはりいくつもの再発見をすることになった。特に響いたのは第三部における「第三の格率」だった。この第三部はデカルトが長い探求から導いた「道徳上の規律」について論じている章だ。

理性がわたしに判断の非決定を命じている間も、行為においては非決定のままでとどまることのないよう、そしてその時からもやはりできるかぎり幸福に生きられるように、当座に備えて一つの道徳を定めた。(p.34)

 真理追求の一方で、当面は生きていかなければならない。そのためには「当座に備えて」生き方の指針が必要となる。そんな指針を「道徳」として語っているのだ。格率は3項目あるのだが、今の自分には「第三の格率」が特に心にぐっとくるものがあった。

わたしの第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして、一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。(pp.37-38)

 ここで面白いのは、「世界の秩序」を変えるというような大それたことではなく、「自分の欲望」を変えるように心がけるという考え方だ。デカルトのような偉大な哲学者であれば「おれが世界を変えたる! おれの考えこそが中心や!」ぐらいのことを言いそうな感じではあるが、決してそうではなく実に謙虚だ。後半に「われわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかない」としているところに、考え抜いた上での冷静な姿勢が見える。まさに「我思う、故に我あり」に通じる(ちなみにこの有名な原理はこの後の第四部に登場する)。

 さらに続く。

したがって、われわれの外にあるものについては、最善を尽くしたのち成功しないものはすべて、われわれにとっては絶対的に不可能ということになる。そして、わたしの手に入らないものはすべて、われわれにとっては絶対的に不可能ということになる。そして、わたしの手に入らないものを未来にいっさい望まず、そうして自分を満足させるにはこの格率だけで十分だと思えた。(p.38)

 「足るを知る」や「己をわきまえる」に近い考え方かもしれない。自分の能力や影響力の及ぶ範囲には、どうやっても限りがあるということを冷静に捉えている。ならばどうすればいいかについて、ずばり「いっさい望まず」としている。そして、それで満足するべきであるとしている。

 周囲の環境について、自分が不満に思いつつもどうあがいても変わらないことはそれを受け入れる。これは、仕事や私生活で何かと思い通りにいかず、ストレスを抱えてしまうような我々にも大きなヒントを与えてくれる。変わらない現実については、自分の考え方を変えて折り合いをつけなければならないということだ。

 ではどうやって折り合いをつければいいのか。

つまり、いくら良いものでも、われわれの外にあるものはすべて等しく自らの力から遠く及ばないとみなせば、生まれつきによるような良きものがないからといって、自分の過ちで失ったのでなければ、それを残念と思わなくなる。(中略)いわゆる「必然を徳とする」ことによって、病気でいるのに健康でありたいとか、牢獄にいるのに自由になりたいなどと思わなくなる。(p.38)

 ここで語られている「必然を徳とする」という考え方がとても重い。変わらない現実に対して、冷静に分析して手が届かない物事については「そういうもの」だと自分で自分を納得させることが、結果的に幸せにつながるということだろう。もちろんデカルトは「われわれの外にあるものはすべて等しく」と書いているように、主体は自分自身の意思にあると後の部で結論づけるわけだが、そこまでいかなくても我々にとって教えられるところは多い。

 われわれが普段抱えているようなストレスの多くは、こちらの受け止め方次第で緩和することができるのではないか。そのためには「必然を徳とする」ことが求められる。変えられない現実を冷静に受け止めるということだ。

 しかしながら、誰もがやはり自分を中心に物事を考えたくなるのが人情。変わらない現実こそが悪い、と。その認識を改めるには考え方のプロセスを抜本的に見直さなければならない。現にデカルトもこう書いている。

ただわたしは、万事そういう角度から眺める習慣がつくまでには、長い修練とたびたび反復される省察が必要なことは認める。(p.38)

 デカルトですらこの「必然を徳とする」考え方は、一朝一夕では得ることができないとしている。そうなれば、今自分にできるのは、「世界の秩序よりも自分の欲望を変える」という、「必然を徳とする」考え方こそが精神の平穏をもたらしてくれるという先哲の教えを知るということまでしかできない。

 ではどうすればいいかという第一歩は、現実を冷静に受け止めて考えようという小さな心がけしかできないかもしれない。とはいえ、変わらない現実を恨んだり批判したりする日常からはほんの一歩だけでも離れることができるだろう。でも、それでいいのではないだろうか。

 デカルトというと高尚な哲学者で取っつきにくいと思われがちかもしれないが、丁寧に読みなおしてみると実に人間的なところもうかがえるし、このようにわれわれに生きることそのものへのヒントを与えてくれる。

 きっと、この本にはまだまだ面白いヒントが隠れているのだろうと思う。

方法序説 (岩波文庫)

デカルト(著)、谷川多佳子(訳)

岩波書店

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