「色欲」を通して「美の本質」に迫る…?:徒然草・第八段
2013年11月13日
「世の人の心惑わす事」をテーマとして、今昔物語集にある話を交えながら「色欲」について述べている。
【第八段】世の人の心を惑はす事、色慾にはしかず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、まことに手足はだえなどの清らに、肥え脂づきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。
つまるところ「色欲は仕方ないこと。でも、後から取り繕うようにつくった色ではなく、本来備えている美しさからくる色こそが魅力的」ということだろうか。
しかしながら、「しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには必ず心ときめきするものなり」といって、わざわざおしゃれのためにつけた匂いにもどきどきしてしまうと兼好も正直に書いている。無常の思想を極めるような作品を残した兼好法師ですら、女性の匂いにくらっときてしまうことに理解を示しているのが面白い。いや、華やかな世界にいたことがあるという兼好法師だからこそ分かるのか。
今昔物語集の中の逸話から紹介されている「通を失った」仙人だが、彼は女性の白い脚を見て神通力を失った。しかも、男を引きつけようとしているのではなく、洗濯に勤しんでいる女性の脚であった。色欲は男の精神状態を大いに惑わせるのは確かだし、よく分かる。
とはいえ、この段では色欲を戒めていると同時に、「本当の美しさとはなにか」についてさらりと指摘しているのが面白い。後から付けた匂いではなく、働いている時の女性の脚にこそ「本当の美しさ」があるのではないかという、秘められた思いがあるような気がするのだが…。とにかく、美の本質について考えてしまう内容であった。