立派な子孫を残すには、自分はどうするべきかという問題:徒然草・第六段
2013年8月23日
兼好法師は「子どもはいらない」と言っている。と言われても、ぼくにはどう解釈すればいいのか途方に暮れる。
【第六段】我が身のやんごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふもの無くてありなん。前中書王(さきのちゅうしょおう)・九条太政大臣(くじょうのだじゃうだいじん)・花園左大臣(はなぞののさだいじん)、みな族(ぞう)絶えん事を願ひ給へり。染殿(そめどの)の大臣(おとど)も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御(み)墓を、かねて築(つ)かせ給ひける時も、「ここをきれ、かしこを斷て、子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。
「徒然草全釈」には、「子孫を持つことは煩悩を持つことであり、人間の世俗の欲望をあおり、仏の道にかなわぬからの言であろう(p.25)」とある。なるほど。仏教の思想からの考えということか。
しかしながら、大鏡が伝える染殿の大臣(藤原良房公)の「子孫が劣っているのは不体裁だと思う」という言葉は、自分への戒めであるとも感じた。子孫を残すのであれば、それこそ「不体裁」でないような教育や教訓を一族に残していく努力をしろということのようにも思えた。それだけに、自分の素養も磨かなければならない。子に恥ずかしくない生き方をしなければいけない。
また、自分の御陵を造らせている聖徳太子が、墓を小さくするためにいろいろと指示を出したのも、必ずしも「自分は子孫がないようにと思っている(子孫あらせじと思ふなり)」ということではないのでは、と。うまく表現できないが、墓を大きく造ると子孫が繁栄するという中国の思想(があるらしい)によらず、教育などできちんと子孫を立派にさせたいという思いが込められているのではないかとも感じた。
子孫を残すべきではないと捉えるのではなく、子孫をいかに立派にさせるには自分はどうするべきかということを間接的に問うているように感じるのだ。