自分の理屈で批判したら何も解決しない 読者プレゼント水増し問題で考えたこと
2013年8月22日
「バレなきゃわからない」。その感覚はもう通用しません。あのCIAからも内部告発者が出る時代ですよ。<秋田書店の少女マンガ月刊誌「ミステリーボニータ」。読者プレゼントの提供数や当選者数を水増し。#rt_aki http://t.co/Vck0dORlnG >
— 小川一 (@pinpinkiri) August 20, 2013
毎日新聞の人が言っても
— logout1978 (@logout1978) August 21, 2013
いわゆる大マスコミにありがちな、当事者意識の無さが感じられるツイートではある。どうしてもマスコミは立場上、あくまで第三者の視点を持ってあらゆる事象を分析しなければいけないのだけれども、それだけに自分の業界の「バレなきゃわからない」には疎くなってしまう。「お前が言うな」にどうしてもなってしまう。
とはいえ、これはマスコミに限ったことではなく、あらゆる世界にいるぼくらにとっても気をつけなければならないことだ。
どうしても自分が生活している社会では「いちいち説明しなくてもわかるだろ」というような常識がある。それは社会あるいは組織を維持させる上で、暗黙の了解として連綿と引き継がれていることが案外多い。しかし、その中にいるとそういった常識や暗黙の了解が見えなくなる。見えないからこそ常識や暗黙の了解であるのだが。
それだけに、いつ自分たちの常識や暗黙の了解がほかの社会や組織に漏れだし、問題視されるかということは常に心のどこかに置いておきたい。
常識や暗黙の了解は、社会や組織を維持する上で必要なものではある。しかし、隣の社会や組織では当然、それらが通用するとは限らない。
さて、冒頭のツイートに戻るのだけれども、やっぱりほかの社会や組織の常識や暗黙の了解は異質に見えてしまうものだ。今回の秋田書店の読者プレゼントについては消費者庁が入っているだけに悪質であるので例外的なことかもしれないが。
しかし、ツイートを紹介した毎日新聞の編集編成局長がいる新聞業界にも、いわゆる「押し紙」と言われるような公正取引委員会案件があるので、やはり「お前が言うな」というふうに思ってしまう。
だからといって、「みんな後ろめたいことがあるのだから言うな」ということを言いたいわけではない。どこの社会や組織にも、外から見れば異質に見える常識や暗黙の了解は多かれ少なかれあるという前提を忘れたら、よりよい解決に向けた建設的な議論ができなくなるということだ。議論をするなという話ではない。
これは海外の国や地域、民族における異文化理解にもつながることだと思う。ほかの社会や組織における常識や暗黙の了解を議論する時、その異質性について自分だけの常識で議論すると本質が見えなくなる。どちらも常識で話をしているので、理解へ向けた議論ではなく、否定するだけの議論になってしまう。それは議論ですらないが。
ツイートを紹介した案件については、個人的にはこう思う。内部事情を批判するだけでなく、なぜそのような状況が発生したのかをまず考える必要がある。それによって浮かび上がる課題は、さまざまな社会や組織でも程度の差こそあれ、あてはまるのではないか。だから、ただ自分の理屈だけで「けしからん」と決めつけてしまうと、この教訓が次に生かせないのではないだろうか。
こう考えると、やはり自分がいる社会や組織の理屈だけで、別の社会や組織を批判してしまうのは危険、とまでは言わないが社会全体に利益をもたらさないと考える。
いずれにせよ、異質な常識や暗黙の了解に直面したときは思考を冷静に保って本質を考えられるようにしたい。そんなことを考えた。