破壊的パラダイム転換をいかに受け止め、いかに生き抜くか:梅田望夫「ウェブ進化論」(ちくま新書)
2013年8月18日
2006年発行。
いまさらとの思いもあるが再読。ウェブ世界の歩みや最先端事例の紹介を通して、これから直面するだろうパラダイム転換とそれへ期待が書かれている。
発行からまだ10年も経っていないが、本書で紹介されているウェブサービスがガラリと変わっている点に驚かされる。(mixiのかげりとFacebookの爆発的広がりなど)
止まらない「パラダイム転換」
著者はITの最先端・シリコンバレーなどでの体験を通して「脱エスタブリッシュ」という主張に行き着く。モノに面するフィジカルな世界に基づく「ネットのこちら側」と、無数の情報が詰まったインターネット空間である「ネットのあちら側」という対立構図でその主張を裏付ける。
そして、Googleが中心となって強大化する「あちら側」による世界の主導を予想し、それによるパラダイム転換への感動と期待を表現している。
実際、発行時に比べても、「あちら側」であるネットの世界が「こちら側」にも大きな影響を持つようになってきた。そして、「こちら側」は衰退が止まらない状態だ。「Web2.0」はもはや死語になってしまったような感もあるが、GoogleやAmazon、Facebookなどが主導する破壊的なパラダイム転換は、さまざまな問題を抱えながらも止まらない。本書の予想通りだ。
「あちら側」のネット企業躍進
ところで、本書の結論は明確に語られていないとみている。「じゃあどうするの」がない。しかし、それは著者も見つけかねているのではないかと思う。
テクノロジーの進化に合わせて、ユーザーも急速に増加。「あちら側」のパワーである情報量が爆発的に増えている。著者はこれを「情報発電所」と形容する。誰でもアクセスできるこの発電所がどんどんと強化され、Googleにインデックスされることにより、新しい価値が生み出される。それによって、結果的に「脱エスタブリッシュ」が起こる。情報が生み出す新しい価値による革命が起こるという見立てだ。
並行して、このパラダイム転換によって従来のエスタブリッシュメント社会の限界が明らかになる。フィジカルな感覚に基づく「こちら側」のシステム不全が白日の下にさらされるということだ。実際に、モノづくりに頼る日本企業は世界でも遅れを見せているだけでなく、衰退のフェーズに入っているのは確かだ。一方で、「あちら側」を軸にした企業は躍進を見せている。
ネット世界での大渋滞
ではこの大きな潮流の中で、ぼくたち個人はどうすればいいのか。
著者は棋士の羽生善治氏との対談のエピソードでそのヒントを提示する。
「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた歳代の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」
あるとき、羽生さんは簡潔にこう言った。聞いた瞬間、含蓄ある深い言葉だと思った。(p.210)
そして次なる当然の問いは「大渋滞を抜けるためには何が必要なのか」であり、まさにこれこそが「人間の能力の深淵」に関わる難問であり、ここを考え抜くことが、次のブレークスルーにつながる。(p.213)
ネットがもたらした知識の高速道路に多くの人が殺到して発生した大渋滞。それはもう起きている。では、どうやってそこを抜けるのか。これが「じゃあどうするの」へのヒントにあたると思う。高速道路に頼ることなく、自分で考えなければならない。また、高速道路を走っていることだけに無自覚に満足してはいけないだろう。ネットを使えることが能力ではなく、それで新しい何かを生み出すことこそが求められるということだ。
また、この大渋滞の形容は、新しい二極分化も指し示しているのではないだろうか。
このまま「こちら側」が必要最小限の規模にまで縮小するのは十分予想できる事態だ。しかし、情報発電所とは別の空間であるフィジカルな「こちら側」に頼る人間は、生きていく道がなくなる。これについては、著者がネット世界の過小評価を諌めることで、回避するべきであるとしている。とはいえ、こちらも明確な答えは示されていない。
いかに変化の衝撃に耐えるか
ウェブ世界の広がりは新しい価値観を産み出し、新しい実世界をつくり出しているのは事実。そして、そのパラダイム転換を前に右往左往しているのが今のぼくたちだ。本書は明るい未来を指し示しているだろう。しかし、直面せざるを得ないパラダイム転換の衝撃波にぼくたちは耐えることができるのだろうか。この転換期を生き抜くための議論をしなければいけない。いつまでも高速道路を走るだけではいけない。いかに大渋滞の先にいくか。答えはまだまだ見つからない。