来世に思いをはせ、今を見つめる:徒然草・第四段

2013年8月4日

 これまでの段に引き続いて、仏道を貴族の素養として挙げている点について考えると、それはすなわち生き方そのものへの向き合い方について説いているということと思う。

【第四段】後の世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。

 人間の内面について、前段まで深い洞察でさまざまな指摘があったわけだけれども、ここにきて短いながらも宗教論が出てくる。来世について忘れることなく、常に仏道に関心を持っていることこそがおくゆかしいという内容だ。

 宗教は「なまぐさ仏教徒」状態なので、来世があるのかどうか分からないしそもそも信じているということもない。現実世界を生きるのが精一杯でそれどころでないというのが本音だ。

 そんな中、このように仏道の素養が望ましい生き方であると言われた場合、自分はどう受け止めるべきなのだろうか。

 これは宗教論をきちんと勉強しなければ導き出せない答えだとは思うのだが、(仏教においては)来世について思いをはせることにおいて、現在をいかに生きるべきかという視点を持つべきであると考えるしかない。つまり、子どもじみた考え方だが、今をいい加減に生きると「えんま様に舌を抜かれて地獄に落とされちゃうよ」というあれだ。

 来世を考えることは、そのまま今を考えることと同じであるのは確かだろう。その意味を思えば、正しく生きるための素養として仏道を挙げたのも当然といえる。果たして今の自分はどうだろうかと…。

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