混沌の今こそ読まれるべき思索の教科書:岩崎武雄「正しく考えるために」
2013年7月10日
この本は定期的に読むようにしている。というのも、自分にとって物事を考える「回路」を正しく調整してくれる本だからだ。
本のタイトル通り「正しく考える」ための、いわば基本ルールや注意すべき点について、具体例を挙げながらやさしく教えてくれる。
この本のテーマと著者の危機意識は、冒頭のまえがきにまとまっている。
近頃はよく一億総評論家時代などと言われていますが、ひとりひとりの人がいろいろの事柄について自分の意見を持つようになったことはたしかにすばらしいことです。しかし、われわれは自分の意見を持つに際して、ほんとうに批判的な態度で自分で考えているでしょうか。むしろわれわれは無反省にすでに誰かによって主張されている意見を取り入れて、それを自分の意見にしてしまうことが多いのではないでしょうか。冷静に論理的に自分でじっくり考えるのでなく、感情的にムード的にすぐ何らかの意見に同調してしまいがちなのではないでしょうか。
現在、SNSの普及などによって、誰もがネット上で意見を表明し、それぞれの立場を問わず議論ができる環境が整っている。それだけに、個人の意見や議論への態度というものが強く求められている時でもあるといえるだろう。
しかしながら、特に東日本大震災直後から顕著になったと感じるが、個々人の意見が非常に極端になったり、議論が鋭く対立してまともな意見のキャッチボールができていなかったりと、せっかくの議論の土台がありながら、混沌とした状態が続いているように思えてならない。一例をあげるならば、「脱原発」と「原発推進」の主張対立はその最たるもので、「シロ」か「クロ」かといった完全な二項対立の構図になってしまっている。しかし、この問題は多くの検証されるべき要素をはらんでおり、簡単に線引きできる問題ではないのだが、両派がいずれも先鋭化し、議論が進まないままにらみ合っているという状態だ。
ネット上を中心に、そのような状況を見ていると残念に思える。また、何より自分もその混沌の渦に巻き込まれて、極端な意見を感じるようになってしまう時がある。冒頭に挙げた「回路」が若干おかしくなってしまうのだ。
この本では、議論の正しい対立軸の立て方や、推理の順番のあり方、批判精神をいかに持つかといった点について、とても平易に教えてくれる。1972年の刊行ということもあり、具体例は自由主義と共産主義の対立、保革対立など時代を感じる箇所もあるが、「正しく考える」ための手法は今も十分に耐えうる。いや、むしろ混沌とした今だからこそ求められる冷静な手法ばかりだ。
特に、「知ることとは考えることと同じではない」「ことばの持つ価値的意味に欺かれて判断を狂わされてはいけない」という主張は、今でこそ突き刺さる指摘だ。安易に耳に聞こえのいい主張や言葉に流されると、本質を見誤る。ちょっと油断すれば、センセーショナルな話に足をすくわれてしまう。だからこそ、冷静な判断手法が求められる。
また、ネット上に溢れる情報をながめていれば、なにやら自分が賢くなったように感じる瞬間がある。しかし、それは情報に触れているだけで、自分で考えていることとは同じではない。
かくいう自分も例外ではないと思っている。自分では正しく考えていると思っていても、知らないうちにとんでもない理屈でとんでもない結論に至っているかもしれない。だからこそ、自分はこの本を通して「正しく考える」ための基本ルールを学び、思考回路の調整をするようにしている。
「考える」ということは誰にもできることだが、その手法を第三者の視点を借りて手入れするのは難しい。直接面と向かって言われればむかっとすることもある。何より、人間は自分の考えていることこそが正しいはずだと思い込んでしまうもの。壊れた思考回路で交わす議論は対立と憎しみしか残らず、誰も得をしない。だからこそ、こういった易しいテキストで定期的に自分の思考回路を手入れする必要があると思うのだ。