2021年5月
今月の目標など
- “プライベート”を取り戻す。
- 「食事つくんのめんどくさい」という理由でコンビニ弁当ばかりなのはやめる。最近のお弁当はおいしいけど控える。
28日(金)
■時事備忘
IOCバッハ会長「史上最も準備整った大会 自信を持って東京に」 - NHK
尾身会長 東京五輪・パラ「ウイルス流入のリスクある」 - NHK
対照的なニュースが一緒に流れてくるという状態の中、われわれ市井の国民がどのように判断すればいいのか、その辺どうなんだろうと感じる。何を信じていいのか、誰を信じればいいのかという指標がまったくない状況に置かれているのではないかと考えるのだがどうなんだろう。
台湾 蔡総統 “ワクチン調達 中国の妨害で難しく” - NHK
25日(火)
■時事備忘
五輪公式スポンサーの朝日新聞、大会中止求める社説掲載 - AFP BB
(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める - 朝日新聞デジタル
25日(火)
■身辺雑記
体調が悪い。後頭部の痛みが出る。調べてみたら「ストレスじゃねえの」とのこと。知ってた。
■時事備忘
アメリカ 日本を“渡航中止”コロナ感染状況で渡航情報見直し - NHK
米国代表の五輪出場に影響なし 渡航勧告受け、USOPC声明 - 共同通信
どうなってんの。
「犠牲」は日本人意図せず IOC、会長発言で説明 - 共同通信
コロナ関連の深刻なニュースが伝えられると同時に、のどかに聖火リレーのニュースが報じられるような現状を見ると、五輪そのものの存在価値への思いが犠牲になっている空気になっているのではなかろうか。そういう意味で「犠牲」という発言があったのならばそれはそうだろうな、正解だろうなと感じる。犠牲発言で日本人の五輪への価値観も大いに下がったとみられる。五輪そのものが犠牲になっている。五輪が商業主義に染まっている批判は以前からあったが、そういった批判や議論に拍車がかかるのではないだろうか。もはやいくら説明しても受け入れてもらえない感じ。要経過観察。
24日(月)
■時事備忘
ワクチン大規模接種センター きょうから東京 大阪で接種開始 - NHK
五輪のため「犠牲を」バッハ会長 反発必至 - 共同通信
何らかの犠牲を払ってまで開催するのが五輪なんだろうかという疑問や発言の是非はさておき、こういう発言がぽろっと出てしまうあたりにIOCも詰みかけている感じがするのだがどうなのだろう。さまざまな利害関係が交錯する団体の一番上に立つ人って、それぞれの角が立たない表現でスピーチなりコメントなりをしなければいけないという、ある意味つらい立場なのは分かる。その中で、このようにいろいろと勘ぐられるような発言をした意味とは何なのだろう。
23日(日)
■身辺雑記
仕事が豪雨のように降ってくる現状を前に、実は仕事ができないやつと思われるように仕向けてタスクを減らすという案を練っている。ある人いわく「分かるけどそういうのはやめといた方がいい」というが、仕事に殺されてしまうくらいならまあ多少の演技をしてでも身を守るようにした方がよさげ。実際のところ、周囲から思われているほどきちんと仕事ができる人間でもないし、「育ててやる」という名目で仕事を振られているのならばそれはいい迷惑、というか害悪でしかない。勘弁してほしい。本性を出して、いやな性格のやつで、口だけ達者で仕事ができないだめなやつを追い求めていく努力をしていきたい。仕事ができるというのは必ずしも自分の身にならず、かえって寿命を削る。歩合制とかで収入が増えるならまだ分かるが、上がる見込みのないサラリーでのり口をしのいでいる底辺会社員ならば、仕事ができないというのも生き残る選択肢の一つなんじゃないかと本気で考え始めている。長期的に見れば会社の業績が上がって自分の給料も上がるとか、そういう考え方もあるがそれは業種や会社個々の事情に大きく左右される。うちの会社はそういうんじゃないの、という悲しい現実しかない。いくら頑張っても「撤退戦」なのでもういろいろ無理なのだ。さあ、頑張って仕事をさぼろう。
22日(土)
■身辺雑記
またブランクが空いてしまったが気にしない。
◇ ◇
知らないうちに田中芳樹「アルスラーン戦記」が完結していたということを知る。また、どうやら再びアニメーション化されているということも知る。
角川文庫刊で読み始めたのはまだはな垂れのころだった。光文社文庫版を買い求めて読み始めている。まだ若かった頃はそれぞれの主人公の強さや聡明さに引きつけられる思いが強かったが、年を取った今読み直してみると、人間関係や組織論、人の振る舞いという深いところで含蓄を感じずにはいられないところが多く、いろいろと評判はあるものの、やはり名作だなというか、著者の力に感嘆するしかないと感じる。相変わらず、たくさん登場する登場人物の多さに混乱するのははな垂れ時代からは変わっていない。 登場人物が多いのは田中作品の特徴ではあるが、どうにもこうにも名前とキャラが結びつかないことが多く、どうにもこうにも往生することが少なくない。悩みどころ。で、あれなんでしょ。また、終盤でみんな死んじゃうとかそういう展開なんでしょ、みたいな。「銀河英雄伝説」でヤン・ウェンリーをあやめてしまった作者なんだから。などといろいろ考えながら少しずつ読み進めている。
13日(木)
■身辺雑記
しっかり寝てるのに朝起きるとだるくてつらい。何とかならないものだろうか。年取ったせいなのかなあ。
12日(水)
■身辺雑記
職場の意思疎通がうまくいかなすぎて機嫌が悪いまま一日を過ごしてしまう。いつもこういう事態になった後に振り返ると、ほんの小さな心の隙に入り込んでくる「誰かがやってくれる」という甘えが原因にあるのだなと思う。みんながみんな「誰かがやってくれる」と思っていて誰もやらないということも多い。甘えは禁物。これを治していかないといけない。しかし、これを突き詰めると、結局誰も信用することもなく、全て自分でやらなければいけないということになる。そこにあるのは不信であったり疑心暗鬼で、誰にも仕事を任せずということになってしまう。とても難しい。というか、他人任せが染みついている会社でどーしようもないなと結論。
11日(火)
■身辺雑記
もうほんと仕事量に対して体力と精神がまったくもってついてこなくなっている状況。年は取りたくない。取りたくないよ。集中力が続かなくなってきているのが残念極まりない。元々注意力散漫な性格なので、それに輪を掛けて集中ができないとなったらもう何も進まない。どうすればいいのこれと頭をかきむしっている。
■時事備忘
高橋内閣官房参与 日本のコロナ感染者数を「さざ波」と投稿 - NHK
この人については「まあそういう人やし」という評価しかないのだが、SNSが極端なまでに発達してからというもの、「思っていてもそれをいうたらあかん」ということをポロッと出してしまって問題になることが珍しくなくなった。そもそもTwitterやFacebookなんて、利用者や書き手本人が考えている以上に本音がそのまま出てしまうと考えている。会話であればその場の空気や会話相手のパーソナリティーが肌感覚で分かる。よって、多少は本音ベースで話すということは抑えられる。また、一般的な社会空間であればそれぞれの立場という面もあり、抑制も効くもの。しかし、SNSはあくまで個人ベースで使われているものである上に、自分が向かい合っているのはスマートフォンでありPCであって、面と向かって誰に話しているのかという注意が油断すると全て抜け落ちる。それだけに、本音が非常にあかん形で出てきてしまう。これまでにどれだけそんな事例を見てきたことか。SNSというものは、使い方次第では立場や役職といった属性をはぎとって人間としての本性を見せてくれるという、恐ろしくもあり便利なものでもありと感じる。こういったことは気をつけなければいけないことだが、過度な「メディアリテラシー」が個人の表現抑制につながってしまうというのも、まあそれはそれで問題だったりはする。バランスとはかくも難しいものか。
10日(月)
■身辺雑記
仕事でたまったデータのバックアップがうまくいかなくて、2時間ほど悪戦苦闘。さっさとあきらめて帰ったほうがよかった。
9日(日)
■身辺雑記
生きてる。気がついたらクールビズの季節に。
とんでもないまでに仕事が忙しくて、仕事以外のことができないまま数ヶ月過ごしていた。ようやくゆとりが出てきてプライベートにも頭が回るようになってきた。定期的にこういうシチュエーションになるのでなんとかしたいのだが、元々要領の悪い人間なのでどうにもならない。なんとかならないものだろうか。
◇ ◇
ブラウザにDuckDuckGoの拡張機能を導入。検索もこちらにシフトする方向。このサイトも知らないうちにいろいろ収集していることがわかってなんだかなあという気分に。取り立てて個人情報への懸念を強く感じているというわけではないが、GoogleをはじめとするIT企業が個人の情報を収集するという流れに抵抗する心意気に共感するところありといったところ。使ってみたところ、検索のスピードが少しだけ遅くなった気がするが、大方問題はない。
■時事備忘
東京都 新型コロナ 3人死亡 1032人感染確認 2日連続1000人超 - NHK
いつの間にかすごいことになっているという印象。完全に政府のコロナ感染症対策が後手に回っている証拠というのは言うまでもないのだが、こういう状況でも五輪開催にこだわる政府の姿勢への非難も高まっている。政府は五輪を開いてしまえば開いたで国民はそれを楽しんで忘れるという見方をしているようだが、そのしきい値を超えてきてしまっている気がしないでもない。つまり、五輪を開いたとしても、五輪は五輪でそっぽを向かれて、政府・与党の支持は上がらない。海外ならデモや暴動でも起こりそうなものだが、もはや国民にそんな元気はないし、そもそもそういう血気盛んな国民性でもない。となれば、この国内全体を覆う歪みがどのような形で表面化してくるか。注視していかないといけないと感じている。特に注意したいのは、民意は数字や科学的なエビデンスではなく、感覚や感情で動くということ。人民は合理的に動くようで、まったく合理的に動くものではない点は忘れずにいたい。